出会えたことがうれしくて

エイトの日ですね。おめでとう?ありがとう?よろしくね・・・?8月8日、この日にどんな言葉を抱くのが正解かは正直わかりません。でもエイトがエイトでいる、そんなすばらしくて奇跡みたいなことを改めて実感できる今日は尊い日だということはわかる。関ジャニ∞のみなさん関ジャニ∞でいてくれてありがとう。


そんな尊き日に、はてダを始めていつかは書こうと思っていたエイトを好きになったきっかけ、まるちゃんを好きになったきっかけについて書いてみたいと思います。わたしがエイトを好きになったのは丸山くんを好きになったからです。まるちゃんを好きになったのは気付いたら・・・ってのが正直なあれなんですけど、はっきりと明確にまるちゃんを意識したのは歌のおにいさんを見てからです。守おにいさん堕ち///の人が通りますヨ☆。.::・*。

わたしは年齢でいうとおおくらと同級生で、ジュニア黄金時代と呼ばれた90年代終わりは、あのおかしくてきらめいた世界の人に憧憬の眼差しを送る愉快な生活を送っていまして。それが小6〜中2くらいかな、当時わたしは大/坂/俊/介くんという子が大好きだったんですね。今はもう辞めちゃったけど。大坂くんは出てなかったけど、親に駄々こねてkyo to kyoを見に行かせてもらったり。(でもその時よこやまくんが黄色の衣装を着ていて、顔白くて衣装黄色でバナナみたいって思ったことだけ覚えてるとか小声でしか言えないwそしてわたしの海馬ひどすぎる。それが初現場とかもっとひどい。)8JとかMステとか狂ったように見る青春時代をお送りしていたためエイトはおおくらくん以外のメンバーはちゃんと認識していました。
まるちゃんのことは8Jのハーフマラソン企画で知ったと思います。山田が空気を読まず1・2フィニッシュをしたあの。大坂くんは8位だったんだよ確か。記憶があいまいだけど、驚異的なタイムで完走したまるちゃんとやすくんは時間を持て余したため、ビリっ子だった松潤を迎えに行くんですよね。そして松潤がゴ―ルする時に3ショットでカメラに映りこむという、2度おいしいことをしてみせてたんですよね。当時純粋なわたしは優しい子達だなぁと見てたと思います。今思えば山田の営業力おそろしすぎるw

それから大坂くんが辞めあらしがデビューし黄金世代と呼ばれた人は各々で活動をしていきます。わたしはその辺からアイドル熱が冷め、Jの世界に関してはすっかり茶の間の人になっていました。だからエイトが関ジャニ8となり関ジャニ∞になったことは知りませんでした。それがまたJの世界に戻ったのは嵐がきっかけです。2004年の24時間テレビでのあいばくんの手紙を、きれいな涙を流しながら聞くおおのくんにおちたからです。といっても茶の間に毛が生えた程度のぬるオタでして、なんやかんや色々あり2009年に歌のおにいさんが始まります。まるちゃんのことは何の気なしに見ていたとおもう。それがね、最終回ですよ。まるちゃん演じる守おにいさんは黄色いダッフルコートを着てたんですね。その姿見た瞬間、まるちゃんがまるちゃんとしてわたしの水晶体に鮮やかに映りこんだんです。世にいう一目惚れです。
それから47を手に入れ、エイトのライブの熱を知り、寝起きまるちゃんに母性が爆発し。ちょっとしてパズルが発売して、またまるちゃんに恋をしたわけです。今度は彼の歌声に。一秒KISSのAメロ、丸山ソロにやられた。衝撃だった。これが世に言う一聴惚れです。あの弾力のある甘い歌声は誰だろう?って聞きこんだらまるちゃんだったという衝撃ね。バラエティーで見るふざけた姿ばかりじゃない、この人すげぇ色っぽいって震えたのは今でも鮮明に覚えています。というわけでまだまだ彼らを好きになって日は浅く、彼らを知る度にもっと好きになるし、好きになる度にもっと知りたくなる楽しい循環に身を任せる日を過ごしているというわけです。ここまで読んでくれた方はありがとうございます。記念すべきやさしい日に自分語りなげぇなって鼻で笑ってあげてください。

まるちゃんが導いてくれたこの世界は楽しくて、熱くて、あたたかくて、いつだってそこに心地いい温度があるよ。いつもいつもありがとう。そんな感謝の気持ちでいっぱいの今日、わがまち福岡の空は痛々しいほど晴れ渡っていておっきな雲がときたまやわらかい風を運んでくれました。なんだかエイトみたいな空だなーと思ったよ。早く会いたいなぁ。